所領も下野、陸奥、三河、丹波など西国にも及び、支族は数十にも及ぶ有力御家人であり、
後醍醐天皇の謀反が明らかになった後は当初、幕府軍として京都に進撃したが、丹波で鎌倉幕府の追討宣旨を奉じ、足利尊氏が朝廷方に転じ後醍醐天皇の建武の新政に貢献した。しかし、公家一党の支配確立を目指す、後醍醐天皇の政治が様々な混乱を呼ぶとともに武家の不満が集積し、足利尊氏が後醍醐天皇の
皇統とは宿敵にあたる
持明院統の
光厳上皇の
院宣を受けて、
北朝を樹立、
征夷大将軍に任ぜられることで足利宗家は足利将軍家として成立することとなった。