東京に裕福な
実業家の家庭に生まれ、
日本文化・
西欧文化の両方に接して育つ。
1914年に女子学習院中等科を卒業してすぐ、27歳の
石本恵吉男爵と一度目の結婚。男爵は三井財閥系の
三井鉱山に在籍しており、労働者の実態調査で
三井三池炭鉱へ赴任する。新婚早々炭鉱町に移り住むことになり、悲惨な炭鉱労働者の生活を知る。数年後、夫が労働問題の研究でアメリカへ渡ると、夫の後を追い二人の幼子を日本に残して
1919年に渡米。職業婦人になることを勧められ、
ニューヨークのバラード・スクールに学ぶ。後に秘書学コースを優等で卒業する。その頃、貧民街での
産児調節運動を啓蒙する
マーガレット・サンガー女史と出会う。女史の思想が炭鉱町にも必要であることを痛感し、日本での運動を決意する。帰国直後の1922年に社会運動に理解のあった夫と共に女史を日本に招待し、講演会などを大々的に行った。これを機に日本での産児調節運動をスタートさせた。