中島治康 wikipedia|無料辞書
|身長 = 175
|体重 = 73
|利き腕 = 右
|打席 = 右
|ドラフト順位 =
|経歴 =
|経歴補足題 = 監督歴
|経歴補足 =
・ 東京巨人軍
読売ジャイアンツ(1943, 1946 - 1947)
・ 大洋ホエールズ(1951)
|選出国 = 日本
|得票率 =
|選出方法 = 競技者表彰
-->
◆来歴・人物
1950年、
大洋ホエールズに移籍。
1951年に兼任監督となったが、またも結果が出ず途中交代となった。同年
引退した。中島曰く「人として許し難いことがあった」とここでプロ野球とは一線を引き、読売新聞客員、東京六大学野球連盟理事を務める。
類い希なパワーと悪球打ちで、ワンバウンドした投球をスタンドに打ち込み本塁打にしたという伝説が残っている(本人も否定しており、実際はセンター前ヒットであったと言う)。守ってはその強肩で、ライトゴロを何度か成功させるなどチームのピンチを幾度となく救った(
中尾輝三の
ノーヒットノーラン達成につながったものもある - 『巨人軍5000勝の記憶』p.17)。軍での実績に因み、チームメイトからは「
班長」と呼ばれ慕われた。
◇ 参考文献
◆ 年度別打撃成績