カリーニンは、レーニンによって、労働者、農民の事情に精通した人物と見なされていたまた、国家元首として週に1回限られた人数ではあったが一般市民と接見し、希望を聞くなどしていた。そのためボリシェヴィキの長老として好々爺然とした風貌もあいまって、
大粛清が始まると、カリーニンには、多数の請願が寄せられた。カリーニンは、しばしば裁判に介入し、無辜の人々を救済し「愛しき父親、
スターリン」に対し、「親切な祖父、カリーニン」と親しまれた。しかし、同時に、カリーニンは、大粛清や
カティンの森事件に公式に署名し、その手を血に汚している。
第二次世界大戦後の1946年6月3日
モスクワで死去した。